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江戸時代の子育てにみるおおらかさ

子どもを大切にする家族

 近年、男女を問わず育児休業の積極的取得を国が率先して進めていますが、江戸時代の日本では、夫婦が一緒になって子どもを大切に育てていたことが当たり前であったことをご存じですか?

様々な書物の中に記録が残っています。医療が現代ほど発達していなかった江戸時代は、乳幼児の死亡率が20~25%でした。

そのためか、「子宝」という様に、子どもを大切にしていたのです。「七歳までは神の子」と言って、七歳を超えると人の子になると信じられていて、七五三の行事にもその考え方が反映されています。

幕末に、いろいろな国から外国人が日本を訪れましたが、多くの外国人が日本旅行記などの著書の中に、日本人が子どもを大切にする姿に驚いたことを書き残しています。

子育てをする仕組み

 では、具体的にどの様な子育てをしていたかというと、まず、男性の参加は当然とされていました。

男性向けの子育て指南書『父兄訓』では、胎教は父親の役目であると説いています。

数え年で年齢を加えていくのも、母親のお腹の中にいる時から大切にしていたことの表われです。

それから、父親、母親だけでなく、いろいろな大人が関わって子育てをしていました。

それらの大人を「仮親(かりおや)」と呼びました。

産婆さんから始まって、お乳の量が少ない母親を助ける「乳親(ちおや」、子育ての経験が豊富で困った時に助けてくれる「拾い親」など、様々な仮親がいたのです。

子育てに関する教育

 教育の面では、学校へ行って学問を学ぶ前の現代でいう幼児教育を重視していました。

特に三悪と呼んで

  • 表裏:うそをつかない子どもに育てる
  • 臆病:穏やかに接して子どもを怖がらせない
  • 傲慢:必要以上に甘やかすことに注意し、子どもが勘違いをしないようにする

といったことを重視したのです。

学問を学ぶ前に、心の教育に力を入れていたのです。体罰などもってのほかで、怒鳴るなどの厳しく接することも、あまり良いことではないとしていた様です。

子育てに関する価値観

健やかに成長して無事に成人する確率が現代より低かったためか、とても子どもを大切にしていたのですね。

さらに感心するのは、自分の子どもだけでなく、地域の人々が一体となって子育てをしていたことです。

そして、子どもを支配する、押さえつけるという発想はなく、おおらかに接して見守ることで、子どもを尊重していたことも大いに感心するところです。

近年、仕事と育児の両立を重視するようになってきました。でも日本人には、もともとその様な考え方や風習や社会の仕組みがあったのです。

そして、現代の仕事と育児の両立で一つ気になるのは、大人の都合を優先した取組みになっていないかということです。

子どもは、自分の気持ちや考えを明確に伝えることができません。だからこそ、子どもの目線に立った取組みができているか、しっかりと考える必要があると思います。

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